スベッたDJを振り返る 其の参 DJ失敗=業界からいなくなる?

配信DJが盛り上がってきましたね。
昔も盛り上がっていた時期がありましたが、配信プラットフォームが上手くいかなくなり、サービス自体が終了してしまいましたが、今また別のところで盛り上がっているのを見て、歴史が繰り返すって本当なんだななんて思います。
今はコロナで場所がなく、スベるということができません。逆をいうと、スベるという経験も場所がないとできない貴重な経験。またこの経験から生まれる反省で人はまた一つ強くなっていく(強くなっていると信じたい)と思います。
DJ失敗=オファー減少 はマジな時がある
自分はかねがね、「1ミスにつき1オファー無くなる」と言ってますが、これは半分冗談であり、マジで思っております。それは、実際に自分自身に起こったので。
もう、相当前の話なんで、時効だとは思いますが、可能な限り柔らかく書こうとは思いますが、もし当時の関係者の方で自分の認識と違ってましたらご指摘頂きますようお願いいたします。
時は10年ほど前、自分がなぜか仕事の初赴任先として福岡に飛ばされた時でした。地元を離れて寂しかったのは寂しかったですが、新天気で頑張っていこうと意気揚々と向かいました。当時、ストリートダンスをしっかりやっていたもので、主にそちらの方面に営業をかけて、なぜかトントン拍子に上手く話が進んでいき、比較的早い段階でダンスイベントでのオープンやクローズをさせていただくようになり、半年後にはダンスバトルのバトルDJも担当させていただけるようになりました。やはりダンスイベントでのバトルDJは花形になるので、オファーいただいたのはうれしいかったですね。
しかし、このバトルDJが後々自分を苦しめるとは、この時は思いもよりませんでした。
福岡に来て何本目かのダンスバトルのDJを担当させていただいたとあるイベントで悲劇が起こりました。大きなミスはなかったものの、選曲が微妙に合わない感じでずれていったようで、最後の決勝戦でバトラーの方から大ブーイング。
目の前で首を切られるジェスチャーまでされて、空気が一気に凍り付きました。
その後もう一本ほかのバトルのDJもありましたが、自分のメインじゃないジャンルのバトルということもあり、自分の解釈が全然合わず、こちらでもあまりよい評価を得られず。
(今から思えばオファーを断ればよかったのですが、当時の先輩からのオファーであるので、「自分は基本違うジャンルだけど良いのか?」と断りを入れた状態で受けました。でもやっぱり参加者のこと考えると降りた方が良かったですね。。)
次こそは頑張ろう!と思っていても、次なかなかオファーが来なく。前に自分が担当していたところは別のDJが担当するようになっており、さすがに鈍感な自分でもこれはクビだなと思いました。
とはいえ、福岡生活は続いているわけで。ちょっとでもDJがしたく、馴染みのスナックなどで機材を持ち込んでのイベントをたまに行わせていただいてたり細々とDJ活動を行っておりました。
その後、当時のダンス関係の方から久しぶりに連絡を頂き、SOUL BARでのDJを紹介していただき、そこからダンス以外のフィールドでもDJを行うようになっていきました。
それはそれで活動は大変だったのですが、最終的には2か月に一度はDJができる状況にはなることができ、ピンチヒッター的にもダンスのバトルDJをさせていただくところまで信用が回復し、そして九州を離れ関西に戻ることになるのでした。
そんなこんなで、半年~1年間はオファーがない状況があった状況ではありましたが、何が悪かったかある程度原因は特定できておりますので、ここから検証していきましょう。
①時代の流れをしっかりくみ取ること
②自分の解釈はほんの少し
③ミスったからといってSNSで愚痴愚痴いうな
①時代の流れをしっかりくみ取ること
問題が起こった当時はダンスバトルでもスクラッチライブが台頭しており、スムーズな繋ぎや、バトラー毎に曲をクイックに変えることが求められてました。そのころ自分はVINYLでDJを行うことにかなりのこだわりを持っており、またそのような流れにあまり賛成しておりませんでした。で、何が好きだったかというと、スクラッチライブが出る以前のアメリカのバトルの、ラフな繋ぎがBBOYっぽいと思っており、自分のDJではそれを再現してたところ、当時の流れではなかったため、受け入れられなかったのだと思います。
②自分の解釈はほんの少し
①とも重複するところがありますが、アメリカのラフなバトルのDJと同じくらい感銘を受けたのが、日本のダンスバトルで1ターン目は遅い曲→2ターン目は速い曲と、遅い曲での踊り方と速い曲での踊り方と変化をつけるダンスを強要する選曲を行っておりました。これはほんとかなりマニアックなルールの下でしか受け入れられず、ほとんどの場合、ダンスを勢いつけるような曲を皆さん求めてるので、そんな自分の意見やメッセージなどを押し付けるよりも、時代の流れを汲み取ってDJを作ったほうが良かったですね。
③ミスったからといってSNSで愚痴愚痴いうな
これはもう、当然ですよね。若かったからでは済まされません。
あまり覚えていないのですが、謝罪の様相を装って、自己弁解をしていたことでしょう。
あんまり大きな声では言えませんが、未だにその当時に選曲が間違っていたとは思いません。首切りジェスチャーもされたのはされたのですが、あれは間違ってなかったとは思えません。じゃあなんで、そのあと1年間も消えていたのかというと、きっとこのへんの後日談で問題があったのではないかなと思います。まぁその首切りジェスチャーの人がわりとダンスで大御所の人だったからということもありましたが、それだけではこんな長期間干されないです。当時の性格から考えてこれも少なからず影響があったはず。
今はミスった!と思った回は、お礼だけ伝えてあとはSNSにはそのことについては触れません。これが一番良い。
前回も前々回も共通していえることは、あまり自分の気持ちを前面に押し出すことはしないほうが、失敗しないDJとしては近くなるかもしれませんね。
選曲自体にその人の趣向が少なからず反映されるので、それ以上に自分の主張というのは抑えた方が良いと思います。
が
面白いDJはやっぱり攻めないとできないと思います。
わざと滑る必要はありませんが、一生懸命攻めて滑ってしまった場合はその後の反省、検証次第でより良いDJになっていくと思います。
DJはミスると、この記事のように一定期間業界から消えることもありますが、ミスらないためにはしっかり練習を行い、当日のお客さんの心象をイメージして、自分のこだわりを押し付けすぎず、しかし一番主張したいことはDJでしっかり残すというようなDJを真面目に行っていれば大丈夫だと思います。
あとSNSであまり不必要なことは言わないように!
激推しレコメンド
The Sound Stylistics / EL NINO
当時の必殺チューンをご紹介。すごいかっこいい。FUNKの中でも一番好きです。
このレコードお気に入りなんですが、この曲で傷か何かで針がめっちゃ滑ってしまい、ちゃんと聞くことができなくなりました。。。
今はVINYLに拘ってるわけでないから、データで買おうかな。。。でもやっぱFUNKはレコードよな、、なんてずっと引っかかっている、そんな曲です。
他にもいろいろな事件はあるのですが、スベったことで一番大きな影響があったのはこの件ですね。
次回はまた思い出したらって感じで。