すごいTweetがあったのさ
いつも告知とMIXの宣伝ばかりで申し訳ございません。
ということで今回は少し趣向の違うお話しを。
自分はTwitter廃人俗に言うツイ廃に近い人間になると思います。
以前はかなりあーだーこーだ呟いてましたが、最近はTLを眺めることが多くなってきました。
そんな中、衝撃的なTweetを見つけてしまいました。
なまじ「音楽に救われた」とかいう奴が存在するせいで音楽に人を救う力があるように思われがちだけど「音楽に救われる才能がある奴」が存在するだけで音楽そのものにその効能はねえだろ。薬でも飲んでろ。
— デスケツマンコ (@kamisoriboy)
2017年3月24日
これ、すごくないですか!?
観点としては2つあると思います。
一つは、音楽に救われる者が意外と少ないのでは?と考えるきっかけになることと、
もう一つは、音楽は救ってくれるものという認識から変える必要があるのではということ
以上の視点から考えられると思います。
①音楽に救われる人が少ない
実際音楽に救われている人間が多かったら、こんなにDJしにくい世界じゃないよねーって納得できますね。
自分は音楽に本当に救われたので、その感謝の力で今までなんとかひぃひぃ言いながら続けてこれたので、
音楽の力を信じて疑わないのですが、
同じような活動してるような方の中でも、失礼ながら、「愛が無いなぁ」なんて思うことって感じるときあったのですが、
きっと、救われるという経験が無かったのでしょう。そう考えると納得できます。
②音楽は救ってくれるものでは無い
上記と重複するのですが、自分は音楽で本当に救われたので、いつも少なからず魂削りながら(言い過ぎか・・・)向き合っているつもりです。
なので、知らず知らずの間に、「全人類にとって音楽は救ってくれるものだ」と考えていたのですが、
目が冷めました。
「そんなことは無い」と。
なるほど、こうやって冷静に指摘されれば、自分が勝手に自然だと感じていたことが実はマイナーであると、
いったところが見えて面白いですね!!
あと、先日DJご一緒させて頂いた、AKDさんのTweetの中で
たとえば音楽。CDで聞いててずっとずっと好きで初めてLIVE行った時のMCの内容がクソすぎて、それ以降楽曲聞くのしんどくなってしまったりとか。LIVE行かなかったらそのまま好きなままでいたかもしれないので割と後悔してる。
— AKD #極彩式 (@akd_asr)
2017年3月24日
とありまして、自分の場合は少し違うのですが、たいそう納得しました。
とあるイベントなんですけど、
具体的に言うとカドが立つので伏せますが、
好きな曲がありまして、それをDJがかけたわけなんですけど、
なんつぅか、違うわけなんですよねぇ、ベクトルが。
もう、切なくなった。
そしてこれが受け入れられるのかと。
もちろんお客さんに合わさないといけないのですが、
なんつうか、『道具』として使っているような印象を受けたのですね。
軽いっつーか、少なくとも自分には愛は感じませんでした。
そういうの、逆の体験だったらすごい最高ですよね!
みんなが「しょーもない」って思っている曲をすごくかっこいいタイミングでかけれるDJ。
そういうの憧れます。
知ってる曲じゃないとノレないとか、よく知らないジャンルやからノレないとかそんなんじゃないんですよね。
知識は知識で良いけど、自分に響くGROOVEに正直になればもっと楽しくなれると思いますし、
頭固くならず、受け入れ口広く、自分の中でのジャッジをしっかりしていければ、
自分も含めてもっと豊かな音楽ライフを送れると思うんですよ。
全てが良くて、しかし100%全部が良いってわけではなくて。
なかなか表現難しいですが。
落とし所が見当たらないのですが
今回はこれまで。
こういう自分の音楽に対する考えとか、DJに対する考えもぽちぽち載せていこうと思います。
別に広めたいとかそんなんじゃないですけど、考え方知ってもらいたいなーて思います。